「写真とは真を写すものではまったくない」そして「アレ・ブレ・ボケ」 | はてなの芸術十選 4 アートディレクター 長澤章生 - 日経

日経10.12.17朝
・・・交通事故現場を写した交通安全ポスターを撮影したものである。ようするにこれは写真の写真・・・写真とは真(現実)を写すものではまったくない・・・現実(の部分)を撮ったからといって良い写真なのではなく、一枚の写真として見る人の気持を揺さぶれるかが問題・・・俗に芸術写真という場合、シャッター・チャンスなる決定的瞬間、あるいは何か特別に写す価値があるものを撮影しているのではないかと想像するかもしれない。しかし価値観は人それぞれ。・・・何が写っているかということだけが価値基準ではないのである。・・・

森山大道「アクシデント」日経より
今回のお題は森山大道氏の「アクシデント」。その写真は白黒で、左上に火の玉か?と思われるような光が見える。レタッチソフトなどを使えばこういったものを一枚の画像にすることは造作もないけれど、どうやらフラッシュか何かの光が反射して写り込んだ光らしい。

事故現場に出くわすことはそう無いので、普通に撮った写真としてもめずらしいものの部類、つまりシャッターチャンスを捉えた写真と言えるだろう。ただそれだけならば、単なる現場検証写真と変わらない。

しかし、その単なる現場検証写真を写真で撮ったら?確かに自分の中でも違和感というか、何らかの感情が湧いてきた。これが「見る人の気持を揺さぶれるか」ということであり、つまり自分は感動したということなのだろうか。

「写真とは真(現実)を写すものではまったくない」と似たような表現を前にも見たことがある。前に書いた、石元泰博氏の写真についての日経の記事だ。
琴線探査: 多重露光、「真」消した「写真」

うーむ。

森山大道氏は、先日の長澤氏の記事でお題になった中平卓馬氏と同様「アレ・ブレ・ボケ」という作風で知られる写真家のようだ。
琴線探査: 「自己の表現性を否定する」という自己表現 | はてなの芸術十選 2 アートディレクター 長澤章生 - 日経

「アレ・ブレ・ボケ」この言葉は中平卓馬氏についての記事をブログしているうちに初めて知った言葉だけれど、自分が知っている何かとも共通する。それはトイカメラだ。

今やデジカメの性能はうなぎ登りだ。オートフォーカスだし、高感度だし、手ぶれ補正も常識だ。カメラの原理を知らなくとも、いわゆる「キレイ」な写真を誰もが撮れるようになった。つまり「真」を写すためには非常に便利になった。

一方、トイカメラは全て逆。それでも、トイカメラで撮られた写真には、自分の中の何らかの感情の動きを感じる。となると、高性能なカメラがいいカメラ?キレイな写真がいい写真?トイカメラというものがあると知って、そうではないんじゃないかと思った。

カメラの性能なんてどうでもいいんだ。問題じゃない。アレたってブレたってボケたって関係ない。カメラは単なる道具にすぎず、結局はそれを使って何かを撮る人間そのものが問題なんだ。この記事を読んで改めてそう思った。

いつか自分も、いい写真を撮れるようになりたいものだ。

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