「自己の表現性を否定する」という自己表現 | はてなの芸術十選 2 アートディレクター 長澤章生 - 日経

日経10.12.14朝
・・・この写真作品に、いわゆる”芸術風味”は一切ない・・・あるがままに素朴に撮る・・・これはなかなか難しい。撮影を続けていると、何かしたくなるのが人情ってもの・・・中平卓馬は、それはどこまでいっても結局は”世界”の”部分”でしかないく、肉眼による豊かな記憶にはとうてい及ばない。実にみすぼらしい断片であることに絶望する。そして、部分でしかないのであれば、とことん部分に徹するため、自己の表現性を否定し、あるものをあるがまま即物的に撮影する”図鑑”の写真を目指した・・・実は素朴とは程遠い冷徹な論理に裏付けられた写真・・・

写真を続けると、確かに何かしたくなるものだ。何と言うか、芸術的なものを求めようとする気持ちが湧いてくる。欲だろうか?とても芸術に類するような写真を撮れるはずもないトウシロのくせにね。

中平卓馬氏は、こういったイヤラシイ不純な気持ちが湧いてくるのを嫌って、あえて自己の表現性を否定したのだろうか。

いや、逆にそれは「自己の表現性を否定する」という自己表現ではないだろうか。しかし、その心意気には大いに感じるものがある。

ところでこの翁はかっこいいよ。これが内面が出ている顔というものだろうか。絵になる翁だ。Googleの画像検索でパラパラ見るよろし。

コメント

このブログの人気の投稿

レオナルド・ダ・ビンチはなぜノートを「鏡文字」で書いたのか?

macでsmb(samba)共有サーバーに別名で接続(別アカウント名で接続)する方法

Google DriveにCURLでアップロードするには?