やまもといちろう氏のことばの数々に胸をグサグサ刺された気がした
mixiにお詫びするなど3年8ヶ月遅いわ!(やまもといちろう) - BLOGOS(ブロゴス)
元ネタはmixiをDISった人がいて、mixiに謝罪しろと要求されてもないのに自分で謝罪してしまったという話のようだ。
この話は興味無いけど、このいつにも増して激しい、やまもといちろう氏のことばの数々に胸をグサグサ刺される気がした。
「何でお詫びするんだよ。何で反省するんだよ。お前らは間違ったことは言ってない」
信念を持ち続けることは難しい。だからこそ、信念を持ち続けられる人はリスペクトされる。
自分はリスペクトされる、されないに関わらず、とにかく信念を持ち続けられる人間になりたいと思うし、そういう人が好きだ。
「突っ張ってmixiを全力で叩いてこそ新時代を切り拓く存在になる資格を得ると何度言えば分かるんだ。戦え、戦えよmixiと。」
既存サービスと戦う気概無くして新時代を切り開けるか!と。だよなぁ。
ここで、それなら自分はどうなのか?新時代を切り開くことを担うほどの気概があるのか?と考えさせられる。
「お前らに足りないのは表現力や思いやりじゃない。絶対死守の、高い攻撃力だ。攻撃し続ける強い心だ。」
要は気合なんだよ!と。スレッガー中尉を思い出すわ。
「お前らは謝罪したんじゃない。心が折れたんだ。お前らは誤解したんじゃない。本心を偽って保身に走っているだけだ。」
よくエライ人が記者会見なんかで深々と頭を下げる光景を見ると、違和感というか、嫌悪感を感じていたのは、こういうことだったのか。言語化された。
自分は深層意識で「おまえ、心が折れたな。本心ではそう思ってもないくせに保身に走りやがって。このクソが。」と感じていたのだろう。
「私は一貫してmixiはクソだと言ってきた。それはmixiに一度見た夢をまだ失っていないからだ。」
この世の中には、クソだと思うものは山ほどある。でもブログでクソだと書くものは、ほんの一部だ。
なぜなら、山ほどのクソに対してわざわざ「これはクソだ!」とブログで書くほどの愛情がないから。
確かにやまもといちろう氏は「mixiはクソ」と一貫して言い続けておられる。
しかし、やっぱりそれは、まだmixiというサービスに愛情があるからなんだろうなぁと思う。
やまもといちろう氏は熱いお人だなぁ。
文中で紹介されているmixiのプロモビデオも見てみた。
なんでこう、すぐにギャル系みたいなテイストに持って行ってしまうのだろう。例えば、GoogleやFacebookやTwitterがこんなプロモビデオを出したらどうなる?
このビデオはmixiの志のゆらぎを象徴的に表現している気がした。
・・・何でお詫びするんだよ。何で反省するんだよ。お前らは間違ったことは言ってない、批判されようがスパム送られようが内容証明が届こうが、突っ張ってmixiを全力で叩いてこそ新時代を切り拓く存在になる資格を得ると何度言えば分かるんだ。戦え、戦えよmixiと。バーカって書けよ。潰れろと言えよ。・・・気合いが足りないんだ気合いが。・・・その当のmixiがどんな情報発信をやっちまってると思っているんだ。このビデオを見ろ。・・・なんだこれは。馬鹿なのかmixiは。・・・いいか。お前らに足りないのは表現力や思いやりじゃない。絶対死守の、高い攻撃力だ。攻撃し続ける強い心だ。胆力と言ってもいい。・・・まったくお前らは分かっていない。責任を取ることが難しいとか、なんで公に保身を図るんだ。自分の身を焦がせよ。燃えて敵の中心へ突撃するぐらいのマインドなしに、次の時代のウェブが引っ張れる人材になれるとでも思っているのか。お前らは謝罪したんじゃない。心が折れたんだ。お前らは誤解したんじゃない。本心を偽って保身に走っているだけだ。・・・私は一貫してmixiはクソだと言ってきた。それはmixiに一度見た夢をまだ失っていないからだ。・・・
元ネタはmixiをDISった人がいて、mixiに謝罪しろと要求されてもないのに自分で謝罪してしまったという話のようだ。
この話は興味無いけど、このいつにも増して激しい、やまもといちろう氏のことばの数々に胸をグサグサ刺される気がした。
「何でお詫びするんだよ。何で反省するんだよ。お前らは間違ったことは言ってない」
信念を持ち続けることは難しい。だからこそ、信念を持ち続けられる人はリスペクトされる。
自分はリスペクトされる、されないに関わらず、とにかく信念を持ち続けられる人間になりたいと思うし、そういう人が好きだ。
「突っ張ってmixiを全力で叩いてこそ新時代を切り拓く存在になる資格を得ると何度言えば分かるんだ。戦え、戦えよmixiと。」
既存サービスと戦う気概無くして新時代を切り開けるか!と。だよなぁ。
ここで、それなら自分はどうなのか?新時代を切り開くことを担うほどの気概があるのか?と考えさせられる。
「お前らに足りないのは表現力や思いやりじゃない。絶対死守の、高い攻撃力だ。攻撃し続ける強い心だ。」
要は気合なんだよ!と。スレッガー中尉を思い出すわ。
「お前らは謝罪したんじゃない。心が折れたんだ。お前らは誤解したんじゃない。本心を偽って保身に走っているだけだ。」
よくエライ人が記者会見なんかで深々と頭を下げる光景を見ると、違和感というか、嫌悪感を感じていたのは、こういうことだったのか。言語化された。
自分は深層意識で「おまえ、心が折れたな。本心ではそう思ってもないくせに保身に走りやがって。このクソが。」と感じていたのだろう。
「私は一貫してmixiはクソだと言ってきた。それはmixiに一度見た夢をまだ失っていないからだ。」
この世の中には、クソだと思うものは山ほどある。でもブログでクソだと書くものは、ほんの一部だ。
なぜなら、山ほどのクソに対してわざわざ「これはクソだ!」とブログで書くほどの愛情がないから。
確かにやまもといちろう氏は「mixiはクソ」と一貫して言い続けておられる。
しかし、やっぱりそれは、まだmixiというサービスに愛情があるからなんだろうなぁと思う。
やまもといちろう氏は熱いお人だなぁ。
文中で紹介されているmixiのプロモビデオも見てみた。
なんでこう、すぐにギャル系みたいなテイストに持って行ってしまうのだろう。例えば、GoogleやFacebookやTwitterがこんなプロモビデオを出したらどうなる?
このビデオはmixiの志のゆらぎを象徴的に表現している気がした。
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