「カネをもうけるだけが目的のクソみたいな娯楽映画」か。ここでの主人公の選択に興味あり - 映画「CUT」

日経11.12.16夕 「CUT」感動的な映画の肉体 シネマ万華鏡
アミール・ナデリ監督・・・イラン映画史にのこる傑作を生み出した・・・そのナデリが、日本で映画を撮った・・・どこでも映画をうつす自由が、うばわれていく。映画はシネコンに囲い込まれ、カネをもうけるだけが目的のクソみたいな娯楽映画しか見られなくなっていく、と秀二はアジテートする。彼にとって映画は、政治であり宗教だ。・・・一発のパンチの苦痛を、1本の敬愛する映画を思うことでたえる秀二の姿は、殉教者のようだ・・・青くさい、気恥ずかしい設定かもしれないが、それにみごとにエキサイティングで感動的な映画の肉体を与えた・・・★★★★(映画評論家 宇田川 幸洋)

「カネをもうけるだけが目的のクソみたいな娯楽映画」か。

資本主義の問題点のひとつだろう。映画だけでなく、色々と当てはまりそうだなぁと思った。

言いたいことは分かるけど、確かに青くさい。それが嫌なら、一体どんな選択肢があるだろう?

・作るのをやめる
・儲けは無視して作り続ける
・儲けながらクソじゃないものを作り続ける

という感じだろうか。

ベストはもちろん、「儲けながらクソじゃないものを作り続ける」だと思うし、これを目指さなきゃいけないと自分は思ってる。

しかし、この映画の主人公はどうやら「儲けは無視して作り続ける」を選んだようだ。

彼はなぜその選択肢を選んだのか?興味あるね。

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