抽象画はただ素直に「好きか嫌いか」で見ればよいという考え方 | はてなの芸術十選 8 アートディレクター 長澤章生 - 日経
日経10.12.24朝
今回のお題は辰野登恵子氏の「室内」という絵。
抽象画は確かにワケわからん。こりゃ一体何なのか?と。芸術家というのは自分など思いもよらないような高尚な世界を持っているのだろうなぁと思っていた。
しかしこの記事を読んで、いや、そうではなく、実は特にメッセージがあるわけではないのでは?という見方もあるのだとわかった。そもそも、はじめからメッセージが無いものにメッセージを読み取ろうとしても明らかに無駄だ。
ただ素直に好きか、嫌いか、それだけだと。ただ、もし好きになったのなら、そこから琴線探査がはじまる。
抽象画というのは、自分を見つめるための鏡、もしくは触媒なのかもしれない。
どんな物事もそうだけれど、抽象画は特に。
・・・具象画だと本物そっくりとか色がきれいなどと感想もいいやすいのに、抽象画になった途端に芸術は難しいみたいな話になりがちだ・・・つまり、視覚的に構成されているわけだから、鑑賞者はそのまま視覚的に見ればいいのだ。「色が好き」とか「なんか構成が嫌い」といった感じで。もし好きな抽象画に出会ったら、なぜ好きになったかを考えてみてはいかがだろう・・・そうした思考の先にきっと味わい深い芸術の世界が潜んでいる・・・
辰野登恵子「室内」日経記事より |
抽象画は確かにワケわからん。こりゃ一体何なのか?と。芸術家というのは自分など思いもよらないような高尚な世界を持っているのだろうなぁと思っていた。
しかしこの記事を読んで、いや、そうではなく、実は特にメッセージがあるわけではないのでは?という見方もあるのだとわかった。そもそも、はじめからメッセージが無いものにメッセージを読み取ろうとしても明らかに無駄だ。
ただ素直に好きか、嫌いか、それだけだと。ただ、もし好きになったのなら、そこから琴線探査がはじまる。
抽象画というのは、自分を見つめるための鏡、もしくは触媒なのかもしれない。
どんな物事もそうだけれど、抽象画は特に。
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