靖国神社へ生まれて初めて参拝する
伊勢神宮と同様に、日本人として一生に一度は行くべきだと前々から考えていた靖国神社へ初めて参拝した。
靖国神社
九段下駅から3分 気軽に参拝できる神社
伊勢神宮は、橋をわたり、時には山登りしているかのような参道を歩いてやっと参拝できる。その伊勢神宮に比べると、靖国神社は意外に普通の神社のようにパッといつでも参拝できる神社だと感じた。しかも、九段下の地下鉄の駅からなら、ものの3分程度だ。
九段下の駅はこれまでにも何度も通り過ぎてきたし、こんなに気軽に参拝できる神社なのに、今まで一度も参拝したことがなかったのだ。自分はなんとものぐさなのか・・・
今回は初めてなので、初参拝と、神社周辺を散策することをメインの目的とした。
拝殿前に槍らしきもの
もちろん普通の神社と比べれば壮大なスケールなのだけれど、意外とコンパクトで、なんというか、正直あっけない感じがしないでもなかった。
当然のことながら、普通の神社と比べると戦争に関する石碑などが多かった。特に、拝殿の前に槍らしきものが立っているのには驚いた。正直、あれは神聖な領域に相応しいものなのかどうか疑問を感じた。
参拝者は結構きちっとした服装をした人々が多く、日本人はもちろん、中国人、韓国人など外国人の方々も多く参拝されていた。
遊就館ファーストインプレッション 「戦果」を強調しすぎな気が・・・
何かと話題にのぼる、遊就館にも行ってみた。
想像を絶するほど展示物が多く、まったく時間が足りなかった。全部をまじめに見ていくとなると、1日中あっても時間が足りないかもしれない。それではあまりにも疲れてしまうので、きっと何度も足を運ぶ必要があるだろう。それが目的の一つではないか?とも思えなくもない。
今回は本当にザッとどのような展示があるのかをブラウズする程度にする他なかったのだけれど、初めての感触としては何と言うか、どうも「戦果」を強調するような展示が目についた。
英霊が後の日本のために払った犠牲は尊い。だから国民は英霊を敬い、感謝と決意をもって参拝するのだと思う。強調すべきはそういうところなのであって「戦果」ではないのじゃないかと思った。
その背景には、靖国神社が、というより「〜会」というような関連団体がそういった「戦果」を強調してより尊敬を集めようとしているかのような印象を持った。
日本人だからこそ、遊就館の展示は注意深く見る必要があると感じた。
「遊就」とは何か?
「遊就館」の名前の由来については、遊就館のはじめの展示にもあった。中国の古典の一部から「遊」と「就」の字をとったというような事が書いてあったのだけれど、正直、難しくてよく理解できなかった。
遊就館の歴史|遊就館
こちらを拝見すると、その文章自体の意味は理解できた。
味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう: 遊ぶには必ず士に就く。『荀子』
後半の「邪僻を防ぎ中正にちかづくなり」で何となく理解できたような気がする。
つまりこの場合「遊びながらよく学び、史実を正しく公平に見てみよう」ということではないだろうか。
今後も折りあるごとに、参拝にも、遊就館にも再び訪れたいと思う。
靖国神社
九段下駅から3分 気軽に参拝できる神社
伊勢神宮は、橋をわたり、時には山登りしているかのような参道を歩いてやっと参拝できる。その伊勢神宮に比べると、靖国神社は意外に普通の神社のようにパッといつでも参拝できる神社だと感じた。しかも、九段下の地下鉄の駅からなら、ものの3分程度だ。
九段下の駅はこれまでにも何度も通り過ぎてきたし、こんなに気軽に参拝できる神社なのに、今まで一度も参拝したことがなかったのだ。自分はなんとものぐさなのか・・・
今回は初めてなので、初参拝と、神社周辺を散策することをメインの目的とした。
拝殿前に槍らしきもの
もちろん普通の神社と比べれば壮大なスケールなのだけれど、意外とコンパクトで、なんというか、正直あっけない感じがしないでもなかった。
当然のことながら、普通の神社と比べると戦争に関する石碑などが多かった。特に、拝殿の前に槍らしきものが立っているのには驚いた。正直、あれは神聖な領域に相応しいものなのかどうか疑問を感じた。
参拝者は結構きちっとした服装をした人々が多く、日本人はもちろん、中国人、韓国人など外国人の方々も多く参拝されていた。
遊就館ファーストインプレッション 「戦果」を強調しすぎな気が・・・
何かと話題にのぼる、遊就館にも行ってみた。
想像を絶するほど展示物が多く、まったく時間が足りなかった。全部をまじめに見ていくとなると、1日中あっても時間が足りないかもしれない。それではあまりにも疲れてしまうので、きっと何度も足を運ぶ必要があるだろう。それが目的の一つではないか?とも思えなくもない。
今回は本当にザッとどのような展示があるのかをブラウズする程度にする他なかったのだけれど、初めての感触としては何と言うか、どうも「戦果」を強調するような展示が目についた。
英霊が後の日本のために払った犠牲は尊い。だから国民は英霊を敬い、感謝と決意をもって参拝するのだと思う。強調すべきはそういうところなのであって「戦果」ではないのじゃないかと思った。
その背景には、靖国神社が、というより「〜会」というような関連団体がそういった「戦果」を強調してより尊敬を集めようとしているかのような印象を持った。
日本人だからこそ、遊就館の展示は注意深く見る必要があると感じた。
「遊就」とは何か?
「遊就館」の名前の由来については、遊就館のはじめの展示にもあった。中国の古典の一部から「遊」と「就」の字をとったというような事が書いてあったのだけれど、正直、難しくてよく理解できなかった。
遊就館の歴史|遊就館
中国の古典、『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものです。国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んでいただきたいという願いが館名には籠められています。
こちらを拝見すると、その文章自体の意味は理解できた。
味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう: 遊ぶには必ず士に就く。『荀子』
〈君子は居るに必ず郷を擇(えら)び、遊ぶに必ず士に就くは、邪僻を防ぎ中正にちかづくなり。〉(新釈漢文大系・明治書院『荀子』巻第一 勧学篇第一)
訳文「君子は居住する場所の選択は、必ず環境のよい所を選び、交わるのには必ず学徳ある人を選ぶものである。ということは、人は環境と交遊関係によって、その性格・修養の程度が異なってくるからである。」(前掲書)参考。
後半の「邪僻を防ぎ中正にちかづくなり」で何となく理解できたような気がする。
つまりこの場合「遊びながらよく学び、史実を正しく公平に見てみよう」ということではないだろうか。
今後も折りあるごとに、参拝にも、遊就館にも再び訪れたいと思う。
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