ホンモノのジャーナリズムはもはや新聞にはないのかも | 新聞社の力、すべての媒体で 慶大メディアデザイン研究科教授 中村伊知哉氏 - 日経
日経10.04.11朝
プロのブログ記者によるジャーナリズムの可能性、これは確かに感じる。Tech Crunchがその例だ。
第1に、基本的にはブログなのでTwitterなどのネット世界にある技術をフルに活用できる。
第2に、彼らは専門性があるので、それぞれの記事が非常に深い。
第3に、記者の顔が見えたり、記者とコミュニケーションできる。記者の顔がみえるということは、記事の信頼性や質の向上にも影響していると思う。
前から疑問に思っていたのだが、新聞記事にはなぜ記者の署名がないのだろうか。なぜ「〜新聞」という大きな枠に丸め込んでしまうのだろう。個々の記者の責任を回避したり、安全を守ったりするためだろうか。もしそうだとしたら、そういった記者の記事は全面的には信用できない。
ホンモノのジャーナリズムは、もはや新聞にはなく、プロ記者のブログにあるのかも知れない。
思えば、journalismの元の言葉の「journal」とは日記や日誌のことであり、これがネット化すると「weblog」となる。つまりブログとは、本質的にジャーナリズムなのだろう。
・・・米国では一部の政治ブログが利益を上げるなど、プロの記者による新しい形のジャーナリズムが成立する可能性がふくらんでいる・・・取材力という新聞社の最大の強みを、ネットを含む全ての媒体で生かせるかがカギとなる。電子版には紙では不可能な機能の充実を期待・・・カスタマイズ機能など・・・
プロのブログ記者によるジャーナリズムの可能性、これは確かに感じる。Tech Crunchがその例だ。
第1に、基本的にはブログなのでTwitterなどのネット世界にある技術をフルに活用できる。
第2に、彼らは専門性があるので、それぞれの記事が非常に深い。
第3に、記者の顔が見えたり、記者とコミュニケーションできる。記者の顔がみえるということは、記事の信頼性や質の向上にも影響していると思う。
前から疑問に思っていたのだが、新聞記事にはなぜ記者の署名がないのだろうか。なぜ「〜新聞」という大きな枠に丸め込んでしまうのだろう。個々の記者の責任を回避したり、安全を守ったりするためだろうか。もしそうだとしたら、そういった記者の記事は全面的には信用できない。
ホンモノのジャーナリズムは、もはや新聞にはなく、プロ記者のブログにあるのかも知れない。
思えば、journalismの元の言葉の「journal」とは日記や日誌のことであり、これがネット化すると「weblog」となる。つまりブログとは、本質的にジャーナリズムなのだろう。
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