「待っている人がいる」涙した夜 慶応大学教授 竹中平蔵

日経09.06.15夕
・・・バッシングも受け、自由な生活も失われ、私的には何もいい事がなかった。いや、一つだけあった。谷村新司さんと友達になれた事だ。・・・行かなけりゃ 行かなけりゃ 悔やむ気がする・・・小泉さんに「一緒に戦場に行ってくれ」と入閣の要請を受けて、正直、迷いもした。脳裏に聞こえてきたのがこの「階」の一節だ。今、その時が来たんじゃないか、逃げるな、と。・・・ああ 日本のどこかに 私を待ってる 人がいる・・・田舎でも教育をきちんと受けられる仕組みを作ってくれた人たちもいた。そのおかげで今の自分があり、巡り巡って国のかじ取りに責任を負っている。「私を待ってる人がいる」の響きに、大臣職の重みがずしりと迫ってきた。・・・一人、夜中に泣いた。・・・

元大臣はもともと非常に柔和な人柄だということは知っていた。それが政治家となり、選挙で鬼気迫る表情で演説している姿を見たときは本当に驚いた。あの平ちゃんが・・・と。

はじめ、元大臣は政治家となるには優しすぎるのではないかと思ったが、次第に鬼となっていった気がする。小泉元首相もいうように、本当に政界は戦場だったのだろう。きっと鬼にならなければ生きていけなかったのだ。

今でもテレビでよく目にするが、その度に「今の日本がこんなんなったのはおまえのせいだ」というような雰囲気でいまだに激しく非難されている。これには激しく違和感を感じる。

確かに完璧な政策をしたとは元大臣本人も思っていないだろうが、自分を捨てて鬼となってまで日本を良くしようとした人に向かって「おつかれさまでした」というのならともかく、いまさら非難するとは一体どういうことなのか。

まるでいじめだ。テレビでそういうことを平気でするのだから、それを見た子供たちは「そんなもんなんだ」と思うに違いない。これからの日本を担う子供たちがそんな冷めた心でいいというのか? この言葉が最もしっくりくる「SHAME ON YOU!!」

「政治は結果が全てだ」とよくいわれるが、それはその通りだと思う。しかし、そもそも政策の是非云々の前に、人として、日本のために全力を尽くした人に対するリスペクトを欠いている。

これでは大臣はおろか、一般社会においても、誰も責任ある職になど就きたくなくなるのは当然だ。そう分かっていれば誰だって逃げたくなる。でも元大臣は逃げなかった。結果はともかく、日本は世のため人のために全力を尽くした人を尊敬しないような冷めた社会でいいというのか? SHAME ON YOU!!

それでも元大臣がまだテレビに出てくるのは、日本を良くしたいという一心だろう。元大臣だって過去の弁明などしたくはないはずだ。

そこまでダメだダメだというのなら、自分がやってみろというのだ。テレビに出るくらいだから十分にその立場にあるだろう。「非難」をするのは簡単だ。もし「批判」をしているというのなら、ソリューションを示すのが礼儀だ。

とにかく教授が大臣だったのは過去の話なのだ。元大臣は単に過去の政策の評価をする議論ではなく、過去の政策もふまえた上で、自身の大臣の経験を使って、これからの日本を良くするための議論をしたいに違いない。

もし元大臣が日本のために滅私奉公してくれていなければ、不良債権問題はどうなっていたか?この不況に耐えられたか?もっとひどい状況になっていたのではないか?問題も色々あっただろうが、自分は元大臣の功績は計り知れないものがあると思う。

だから自分は元大臣に「本当におつかれさまでした。ありがとうございました。」と申し上げたい。そして「これからもどうか日本のために力を尽くしてください」と申し上げたい。

「♪日本のどこかに 私を待ってる人」はここにも一人、います。

コメント

  1. 私も同じ意見です。他人に対するリスペクトがまず基本にないと、発言する資格さえ無いですよね。

    このブログ記事読んだら、何だか熱いものがこみ上げてきて泣けてきました。

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