2011年6月1日水曜日

申谷氏はなぜ国歌に敬意をあらわしたくないのだろうか。まずはそれを伺ってみたいものだ。 | 国歌斉唱命令は合憲 - 日経

日経11.05.31朝
・・・思想・良心の自由を定めた憲法19条に反するかどうか・・・最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)・・・元都立高校教諭、申谷雄二さん(64)・・・判決理由で同小法廷は、起立・斉唱を求める職務命令は「個人の歴史観や世界観それ自体を否定するものではない」と指摘しつつ、日の丸・君が代への敬意を表明したくないと考えている人にとっては「思想・良心の自由を間接的に制約する面がある」と認めた。ただ、卒業式や入学式などの学校行事の円滑な進行の必要性や、学校教育法に基づく学習指導要領で国旗国歌条項が定められていること、全体の奉仕者である公務員の職務の公共性などに照らすと、起立・斉唱は「教育上の行事にふさわしい秩序確保などが目的」と指摘。思想・良心の制約には「許容できる程度の必要性、合理性が認められる」と、4裁判官の全員一致で結論づけた。・・・申谷さんは判決後・・・「起立や斉唱を強制すれば愛国心が育つというのは薄っぺらい考えだ」・・・

判決は当然と思う。教師は単なる個人ではない。教師の姿を子供たちが見ているのだ。ただ座っていただけだとしても、その姿は子供たちに対して暗に「国歌は尊敬するに値しない」という教育をすることになる。

申谷氏は「起立や斉唱を強制すれば愛国心が育つというのは薄っぺらい考えだ」とおっしゃる。ならば、どうすれば愛国心が育つとお考えなのだろうか。

どう考えても、教師が国歌を尊敬しない姿勢を見せることが子供たちの愛国心を育むとは思えないし、むしろ逆だと思う。

先日、国歌に関する橋下知事の発言があった。

琴線探査: 国歌や国旗を敬わない教員に教育された子供たちが国家に敬意を持つ国民になるとは到底思えない | 国旗国歌と公民教育 - 内田樹の研究室 - BLOGOS(ブロゴス)

申谷氏にしても内田氏にしても、「本当の愛国心とは何か?」というところに論点をずらして、結局のところ「子供たちに愛国心は必要ない」とお考えなのではないかと思われるのだけど。

申谷氏はなぜ、国歌に敬意をあらわしたくないのだろうか。まずはシンプルに、それを伺ってみたいものだ。

もちろん「思想・良心の自由」が制約されるから、ということではなく、なぜ国歌に敬意をあらわしたくないという考え方、思想・良心をお持ちなのかということを。