2010年2月19日金曜日

出すぎた杭は打たれない④ MITメディア研究所副所長 石井裕さん

日経10.02.19夕
・・・ネグロポンテ所長(当時)・・・MITではこれまで取り組んできた研究のことは忘れて全く新しいことをやれ・・・そう言われました。私のこれまでの仕事を評価したからこそ、MITは私を採用したわけですが、それを続けるなと言う。・・・MITでは独創性があり、多くの人が追随するような影響力のある研究を少なくとも3年くらいで示せなくては生き残っていけません。そのためには最初の年から研究テーマを戦略的によく練って取り組まなければなりません。・・・私たちは、情報を画面の光る点(ピクセル)で表現し、マウスやキーボードで操作しています。情報の表現と操作手段が乖離(かいり)しています。これを一体化することが必要だと直感し、情報に物理実体を与え、手で触って操作できる手法を提唱しました。タンジブル(触れられる)ユーザーインターフェース・・・「ミュージック・ボトル」・・・テーブルの上に・・・ガラス瓶・・・ふたをあけると、音楽・・・別の瓶は、鳥のさえずり・・・タンジブルのアイデアを表す最も単純な装置であり、最も強い印象を与える作品・・・母に贈りたかった・・・母がしょうゆの瓶をあけると、醤油のにおいが漂ってきた・・・母が親しんでいる世界のメタファー(比喩)でデザインしました・・・99年にシーグラフ・・・に出品・・・アルス・エレクトロニカに・・・出品・・・MITに在籍する約千人の教授たちは世界トップの実績が求められます。職を得ても、6〜7年以内にトップであることを示しテニュア(終身在職権)を得なければ、去らなければならない。・・・タンジブルといえば石井、石井といえばタンジブルといわれなければならないのです。(聞き手は編集委員 滝順一)

石井副所長の美学を評価したのであって、過去の仕事の評価はおまけだ、ということだったのだろうか。MITは相当競争が激しいようなので、まだ誰もやっていないことを始めないと生き残れないぞ!ということだったのかもしれない。

タンジブルユーザーインターフェース。TUIだ。タッチャブルユーザーインターフェースとしてもTUI。前に書いた「マイノリティ・リポート」ライクというか、そのものの「g-speak」についての記事で、勝手にDUI(ダイレクトユーザーインターフェース)なんぞと呼んでいたが、これは多分失礼だ。TUIと呼ぶべきだろう。

生活の中の「におい」にインスパイアされ、普段の生活にあるメタファーを使ってデザインする。素敵だ。そうえいば、宮崎駿監督もにおいが重要だとおっしゃっていたのを思い出した。体験と言うか、原風景というか、そういうものが大事なのだろう。

「タンジブルといえば石井、石井といえばタンジブルといわれなければならないのです。」そこまで覚悟しなければ、今の地位はなかったということだろう。

ただこう聞くと、在職するために研究をするのか、研究のために在職しなければならないのか一瞬疑問に感じたが、自分にそんな事を問う資格はない。とにかく人は怠惰なものなので、これくらいの覚悟がなければ成果は残せないぞ!という叱咤激励に聞こえた。

「ミュージック・ボトル」のサイトにはビデオがあった!このビデオを見て、コンピューターと人との間、つまりユーザーインターフェースにはもっと可能性があるし、もっと自由でいいんだ!と思った。

マウス、キーボード、ウインドウ、ボタン、スイッチ、テキストボックス、コンボボックス、スライダー・・・そういうものばかりがUIではないのだ。そんなUIに縛られるなんて・・・なんて間接的で窮屈なんだ・・・と思えてきた。

また、UIの進化はセンサー次第だったのかもしれないとも思った。これまでは入力デバイスがマウスとキーボードにほぼ限られていた。その世界ではこうした伝統的なUIは現実的だ。しかし、iPhoneをはじめ、スマートフォンと呼ばれるデバイスの多くにはタッチ、加速度、方位などを認識できるセンサーがついている。

こうした多彩なセンサーあればUIはもっと進化できる。当然ソフトウェアのデザインも全く違うものになってくる。

実験でもいい。やはり極力伝統的なUIを使わない、まったく新しいUIを持った画像編集ソフトを作ろう。ダイレクトで直感的でシームレスなUI。それだ。

ASCII.jp:透明なインターフェース|石井裕の“デジタルの感触”