天皇の火葬は前例あり。過去の天皇にも薄葬を望んでいたケースも。日本語にはモガリ(殯)なんて言葉もあるのね。 - 天皇の葬儀 考2
日経13.11.17朝 天皇の葬儀 考2 古代モガリの政治空間 皇位めぐり権力闘争 古代の天皇の葬儀でもっとも特徴的なのがモガリ(殯)である。天皇の死後、埋葬までの一定期間、遺体を殯宮(モガリノミヤ、またはヒンキュウ)に安置する… 『魏志倭人伝』に日本人の葬送慣習として、10日間ほどのモガリが行われるという記述がある。また、『古事記』『日本書紀』の神話で、国生みの神イザナギが妻のイザナミの死後、「黄泉(よみ)の国」を訪れ、腐敗したその姿に驚いて逃げ帰る話もモガリの反映だとされている… 歴史学者・和田萃氏によると、期間は平均して数ヶ月から1年以内。しかし、5年8カ月に及んだ敏達天皇を最長として、斉明(5年3カ月)、天武(2年2カ月)のように長期のモガリがみられる。和田氏は「モガリは死者のよみがえりを願う儀式だった… モガリの間は空位期間となるため、次の行為をめぐる政治的駆け引き、権力闘争が行われるようになる… 持統天皇は初めて火葬された天皇だった…持統は葬儀を簡素にするようにとの「薄葬」の遺詔を残しており、火葬はむしろこちらに関係している可能性が高い… 薄葬というと、646年に孝徳天皇によって出された「大化の薄葬令」が有名だ。死後の薄葬を遺言するのは中国の皇帝の慣習を真似たものだった… その後、天皇の葬儀を大きく変えたのが、やはり女帝の元明天皇だった。721年に死去したが、遺詔で初めて火葬に言及したほか、山陵造営を禁止、葬儀の徹底した簡素化を指示した… 中国の皇帝が薄葬を指示していて、日本の天皇もそれに習っていたそうだ。昔の中国は日本の手本だったんだね。 この記事をみると、今上陛下に限らず薄葬というのは天皇家の伝統であったような感じを受ける。歴代天皇は常に国民のことを考えてこられたのではないだろうか… 火葬も前例が無かったわけではないようだ。 しかし、皇室関連の話は日本語が難しいね。Google日本語入力でも出てこないべ(^^); モガリ(殯)なんていう言葉初めて知ったべ。