2013年12月14日土曜日

「黒の喪服」はいつからの習慣か? - 天皇の葬儀考5

日経13.11.20朝 天皇の葬儀 考5 明治〜大正 国民統合の大イベント

…近代初の大喪となった1897年(明治30年)2月の英照皇太后(孝明天皇皇后)の大喪では国民に黒色の喪服、喪章、旗の掲示が服喪心得として指示された。「喪服は黒」の習慣が一般化されたのはこの頃からだ…

『天皇の葬儀』の著者、笹川紀勝・元明治大学教授…明治天皇…存命中に葬儀の次第が法令化されなかったため、英照皇太后大喪を前例としつつ、天武天皇葬儀など古制を参照して約30の儀式が行われた。ただ、長い伝統のある仏教儀礼は排除された…

大正天皇…死の約2カ月前の10月21日に皇室喪儀令、陵墓令、皇統譜令などの皇室令が急きょ公布されており、天皇の葬儀が初めて法令に基づいて行われることになった…

明治天皇大喪の儀式がほぼ踏襲された内容だった。現在の八王子市に造営された多摩陵は史上初めて関東に造られた天皇陵だ…

「国民は受信機の前で『えりを正し』『ひれふし』、哀悼の意を表した。これは明治政府以来の天皇への帰一、尊崇、忠節を求める政府の教化策の成果であった」(竹山昭子「ラジオの時代」)(おわり)

この連載は編集委員の井上亮が担当しました。

黒の喪服というのは明治からの習慣だったんんだね。そんなに昔の事じゃなかったわけだ。

連載を通じて感じたのは、天皇の葬儀といえども、毎回毎回何かかが変わってきたということ。前例を踏襲しながらも、時代時代の要請によって様々なものが変わってきた。

喪服もそうだけど、「伝統」といっても、どこかで始まり、どこかで変化したものが今に続いているにすぎないんだろう。「伝統」があるからといって、何も変えてはならないということではないんだ。

しかし、最後の「天皇への帰一、尊崇、忠節を求める政府の教化策の成果であった」というのは気にかかるな。確かにその時代はそうだったのかもしれない。

しかし今は、少なくとも自分は、政府の教化によって皇室や両陛下を尊敬申し上げているわけではない。

天皇の葬儀も、天皇に対する国民の意識も、時代と共に変わっていくものなのだと思う。