SiriはUIを破壊した

人間とコンピュータの関係性について、もしくはSiriあるいは個人用仮想アシスタント(VPA)の未来

・・・iPhone 4Sが登場して、Siriに大いに注目が集まることとなった・・・Google会長のエリック・シュミットが上院司法委員会の場で、SiriはGoogleにとって脅威となり得る存在であるということも述べている・・・これによって私たちとスマートフォンとの関わり方が永久的な変化を被ったことになる・・・近いうちにSiriのAPIを開発者向けにリリースするということは大いにあり得ることだろう・・・たとえばスマートTV、ヘルスケア、教育分野でのバーチャル教師などの分野でVPAは必須となるに違いない・・・いろいろな意味で、コンピュータが今後進化すべき「運命」ともいうべきものである・・・次世代VPAはアシスタントと利用者の間により深い関係性をもたらすようになるだろう・・・またVPAは人間の能力を拡大するものという言い方もできるかもしれない。より快適で、労少なくしてさまざまな行動ができるようになるかもしれない。SRIではこの「拡張性」という概念についてはダグラス・エンゲルバートの時代から研究を続けている。ちなみにエンゲルバートとはマウスの発明者であり、人間とコンピュータの間の関係のあり方について研究をした人物だ。1962年に執筆した論文から引いておこう。

「人間の知性を『拡張』することで、すなわち人間の能力を向上させることで、より複雑な問題に対処することができるようになる。現実の問題をしっかりと把握して、そこにある問題に対して適切な対応ができるようになるのだ」。

・・・人間が長く考えていた「機械との付き合い方」を新しいものに置き換えるであろう・・・


この記事の筆者Norman Winarsky氏とBill Mark氏は、Siriの設立に関与した方々らしい。非常に興味深い記事だった。

確かに、Siriは人間とコンピューターの関係性を永久的に変えてしまったという意味で、人類史上としても大きな革新だったと思う。


SiriはUIを破壊した

まずSiriは、従来のUIに対する考え方を根本的に破壊したと思う。

コンピューターの代表的なUIコンポーネントとして「ダイアログ」というものがある。こういったおなじみのものだ。


「ダイアログ」とは英語の「Dialog」のことで、これは「対話」を意味する。

Siriがこの「対話」をどのように実現しているかを見てみよう。


人間にとって、非常に自然な形の対話だと思う。しかし、相手は人間ではない。Siri嬢だ。

ここで注目すべきは、UIとしてのグラフィックスがほとんど要らなくなってしまったこと。「来週の木曜」を表現するためのカレンダーを表示する必要もなければ、予定を追加するボタンも必要なくなってしまったのだ。


Siriは人間の能力を間接的に拡大する

予定を入れるという仕事はもちろん「カレンダー」アプリでもできるが、そのプロセスを書きだしてみよう。



  • カレンダーアプリを探すためにホーム画面をスワイプする(0〜数回)
  • カレンダーアプリをタップして起動する
  • 「来週の木曜日」を探すために矢印ボタンをタップする(0〜数回)
  • 「来週の木曜日」をタップする
  • 予定の追加ボタン(+)をタップする
  • 予定のタイトルを入力する(かなり時間かかる)
  • 予定の時間を入力する(少し時間かかる)
  • 完了ボタンをタップする
  • アプリを終了せるためにホームボタンを押す

Siriで行う場合とカレンダーアプリで行う場合とを比べれば、Siriがどれだけ入力ステップを肩代わりしてくれているかがわかる。

これが筆者の言う「人間の能力の拡大」ということにつながってくるのだと思う。

今回の場合はSiriが行なっていることが人間の能力を直接的に拡大しているのではない。Siriが面倒なステップを肩代わりしてくれることで人間には時間が生まれ、その時間で別の仕事ができるから能力が拡大する可能性があるということだ。いわば、「パーマン」だね(^^)

しかし今後Siriがより賢くなった場合、直接的に人間の能力を拡大することも十分あり得ると思う。本物の人間の秘書のように、自分の意図を理解して自律的に情報を集めてくる、とかね。


もしSiriのAPIが解放されたらどうなる?

もし筆者がおっしゃるように、SiriのAPIが開発者向けにリリースされたらどうなるだろう。

アプリにはUIとしてのグラフィックスが必ずしも必要ではなくなり、アプリはより抽象的な「サービス」となっていく可能性があると思う。RESTなWEBサービスのような。

アプリはグラフィックスという実体を持たず、Siriが人間とアプリのインターフェースとなり、Siriがアプリの提供するサービスを叩くというイメージ。iPhoneの中にインターネットが入った、みたいな。

このような「サービス」(グラフィックスが必要ないプログラム)は実際にPCやモバイルデバイスでもたくさん動いている。しかし、従来グラフィックスが必要だと思われていたプログラムすらもサービス化されていくかもしれないということだ。

スマホからアプリが消える日――web化していくスマートフォンの未来|スマートフォンの理想と現実|ダイヤモンド・オンライン

ダイヤモンドの記事ではネイティブか?WEBアプリか?という議論をしているけど、Siriが出てきたことで「iPhoneの中でアプリがWEB化」していく気がしてきた。

もちろんゲームなんかは抽象化できないし、ゲームでなくてもグラフィックスのインターフェースがあった方が便利な場合も多いと思う。

しかし、これからのUIはグラフィックスが必須ではなくなるということは、間違いないと思う。


「デバイスの中でアプリがWEB化したアーキテクチャ」には、むしろAndroidが向く

GoogleはSiriを脅威と考えているようだけど、むしろこういったアーキテクチャに向くのはAndroidだと思う。Androidには「Intent」という非常に強力なしくみがあるから。

人間がSiri的なAndroidのエージェント(Androidくんが候補?)にインテントを出し、エージェントがそれを翻訳して「アプリの雲」にインテントを出す。それぞれのアプリはインテントを受け取って、あれしたり、これしたりする。

GoogleはAppleのようにプログラムに「人格」を持たせるほどのセンスがあるかどうかわからないけど、人間の意思をIntentに変換することは確実にできると思う。

Siriは今のところ、ハックしなければアプリを指定して起動することすらできない。こういった面で、AndroidがSiriの脅威を退けることはできると思う。

Appleの閉鎖性を考えれば(^^); SiriのAPIが公開されるのはまだ時間がかかると思うので、Googleにとっては今こそがチャンスと思う。


まとめ

「グラフィックスがないUI」とは一体どんなものなのか、これからも考えていきたい。

コメント

このブログの人気の投稿

レオナルド・ダ・ビンチはなぜノートを「鏡文字」で書いたのか?

macでsmb(samba)共有サーバーに別名で接続(別アカウント名で接続)する方法

Google DriveにCURLでアップロードするには?