2010年7月10日土曜日

矢沢永吉さんの「で、お前はどうなの?」が改めて重要だなぁと。 | 「客観報道」という偽善―ニュースには記者の意見がもっと必要だ - Tech Crunch Japan

「客観報道」という偽善―ニュースには記者の意見がもっと必要だ - Tech Crunch Japan

・・・ジャーナリストが自らの意見を公表したばかりに譴責されたり、解雇されたりする事態が続いている。憂慮すべきことだ。・・・「本紙のジャーナリズムとしての中立性、信頼性を損なうおそれがあるので、政治的、人種的、宗教的、あるいは性に関して差別的あるいは偏向的と解釈されるような意見を公表してはならない」・・・私はジャーナリストは記事中で自らの意見を述べる権利があるものと信じている。さらに重要なことだが、読者にも記者の意見を知る権利がある。・・・ジャーナリストに意見を公開することを禁止するのは読者に対してウソをつくのと同じことだ。・・・「自分の意見を書くな。その意見を口にする人間を探してきて引用しろ」とジャーナリストは言う。・・・客観的な記事を書くふりをして実は大いに主観的な記事を書いているのだ。・・・こんなジャーナリズムは倫理的に最低だ。・・・われわれは自分の見たままに物事を伝える。われわれは決して事実を捏造したりいじくり回したりしない。・・・われわれは思ったとおりに記事を書く。・・・われわれは主観性を100%排除して文章を書くことは不可能だ。われわれはロボットではない。われわれは人間だ。・・・

すばらしい。全面的に賛成だね。さすがはMichael Arrington氏。Tech Crunchを信用して愛読している理由は、情報の質だけでなく、彼らがこういった精神を持っていると信じているからだ。

日経Watchをこのブログで始めてからというもの特に気になるようになったのは、なぜ新聞記者は「有識者」だの「消息筋」だの、自分の意見を言わずに誰かの意見を引用してさも自分の意見、自紙の意見のようにして記事にしてしまうのか?ということだ。

現代は「〜が起きました」などという情報ならネットでいくらでも無料で手に入れられる。欲しいのは、じゃあそれでお前はどう考えるのか?という情報・・・つまり、意見や考え方だ。

確かにジャーナリズム(メディア)に中立性や信頼性は必要だと思う。ただ、その実現の方法が間違ってはいないだろうか?

前にこう考えたことがある。新聞やテレビが中立を保とうとするのは、購読数や視聴率を下げないためではないか?と。そうではないと信じたいけど。

もしそうだとしても、こうしたらどうだろう。ジャーナリストはおおいにバイアスのかかった自分の意見を正直に述べ、新聞やテレビなどのメディアは中立性を確保するために、様々なバイアスを持つジャーナリストを集めて同時に述べてもらう。そうすることで、信頼性や中立性を保ちつつ、購読数や視聴率の増加も望めるのではないだろうか。

こうなれば、新聞やテレビの報道はガゼンおもしろくなる。大体、のっぺらぼうなつまらんことばっかり言っているからいけないのだ。


確か、矢沢永吉さんも同じようなことをおっしゃっていたなぁと思い出す。

「で、お前はどうなの?」と。

「オレが聞いているのは他人の意見じゃない。他ならぬオマエ自身の意見なんだ。」ということだろう。