リアルタイム合成音声で突きつけられる「人間とは、ナンだ〜!」という哲学問題 | 合成音声ボーカリスト フォルマント兄弟 - 日経

日経10.07.06朝
・・・フォルマント兄弟・・・現代音楽ユニット・・・他人だが兄弟・・・10年間、共同で人工音声合成による表現の可能性を追求・・・ボーカロイドと呼ぶソフトに「歌わせる」ことも一般化・・・ステージから宅配ピザ店に電話し、兄弟の「演奏」で注文・・・クイーンのフレディー・マーキュリー・・・革命歌「インターナショナル」を日本語で歌わせるという、いわば、あり得ない過去を捏造した作品・・・「NEO都々逸」・・・今年8月28日には東京・サントリーホールの「サマーフェスティバル2010」・・・製作中の新作民謡が初演・・・私たちが音楽と呼ぶものの多くはメディアを通過したものだ。その向こうに生身の声があるのが前提だが、人工的な声を駆使して作った歌がそうした感動を生み出すとしたら、何を意味するのか。人間とメディアの関係を照らし出す問題提起になるのではないかと思い、探求を続けている。(みわ・まさひろ=情報科学芸術大学院大学教授、さこんだ・のぶやす=名古屋学芸大学准教授)

まずはその「声」を聞いてみようじゃないか。

サイトは基本的に英語。初めからワールドワイドを狙っておられるようだ。
Formant Brothers Official Web

記事中にあるピザ注文のビデオがあった。いや、これは笑う。





初音ミクをはじめとするVOCALOIDは基本的には打ち込み用だけれど、彼らの「声」はリアルタイムで演奏する事を前提に作られているようだ。だからピザ注文のように、とっさの判断が必要な場合でもちゃんと「会話」ができる。ここが素晴らしい。

これを見て、もしコンピューターに十分な音声認識能力と判断力があれば、コンピューター自身がピザを注文することが現実のものとなると実感した。それはまさにアンドロイドだろう。


もう一つ記事中にある「VOCALOIDフレディー」に「インターナショナル」を日本語で歌わせるというビデオもあった。これもすごい。





フレディーはもう亡くなっている。フレディーが日本語で歌うこともなかったろう。しかし、今、現実に、フレディーが日本語で「インターナショナル」を歌っているように聞こえる・・・非常に感慨深い。

しかし、こりゃ一体何なのか?この何とも言えない違和感。単に音楽的側面や技術的側面から興味深いというだけでなく、彼らがおっしゃるように、非常に哲学的意味を持っていると感じる。

「人間とメディアの関係」どころの話ではないと思う。筋少の大槻ケンヂさんではないが「人間とは、ナンだ〜!」という根本的、根源的なところにいってしまうのではないかと感じた。

音楽を通じて哲学するということもできるのだなぁ。しかし、何とCOOLな教授たちか。

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