2010年2月16日火曜日

出すぎた杭は打たれない① MITメディア研究所副所長 石井裕さん

日経10.02.15夕
・・・アラン・ケイに見いだされ・・・米国に旅立つ直前に、青春時代に愛読した詩人、宮沢賢治の足跡を尋ねた・・・シミだらけの原稿用紙からは、賢治の体の痕跡、精神の葛藤がありありと感じ取れました。印刷機で大量に複製される過程でオリジナルの原稿に残された芸術家の体の痕跡はぬぐい去られています・・・大量消費のために芸術作品ですらコンパクトで効率のよい形の標準化されている。そのプロセスで生の感動がそぎ落とされている。私たちはなぜこれを疑問に思わないのか・・・私が主張したのはタンジブル(触れられる)です・・・「インタッチ」・・・触覚を介して離れた人がコミュニケーションできる道具・・・「かざぐるま」は株式市場や太陽活動の情報でくるくる回る・・・「マイノリティ・リポート」に身振りでコンピューターを操作する光景・・・私のグループの卒業生であるジョン・アンダコフラが開発したGスピークという技術・・・よく尋ねられました。あたなは技術者なのですか、アーテイストなのですか、デザイナーなのですか。特に日本人は類型化しないと心配なようです。私はそのどれでもありません。そのすべてです。(聞き手は編集委員 滝順一)

まずメディアラボの副所長が日本人だったとは知らなかった。日本人として誇りに思う。

石井副所長は「タンジブル」というテーマを追求されているようだ。現在のiPhoneなどのタッチスクリーンの普及を見ると、やはり先見性があるなぁと思う。

自分の場合、まず「マイノリティ・リポート」を見てカッケーと思い、その後テレビか何かでそれは単に映画の話ではないことを知り、そうこうしているうちにiPhoneのタッチスクリーンを手にすることになった。そもそも、その「マイノリティ・リポート」の映像の原型は石井副所長の教え子のものだったわけだ。

ということは「マイノリティ・リポート」は2002年の作品のようなので、石井副所長らはそれよりも、ずっと前から研究されていたはずだ。2002年からとしても、iPhoneが出る5,6年前なわけで、その先見性はいかばかりか。

タッチスクリーンは触覚というところまではいかないまでも、手で直接情報を操作している感覚は確かにある。このように、情報をより直接的に操作できるようにすることで何かが変わるのじゃないか?

先日のiPadの発表でジョブズ氏がこだわっていたことも、まさにココだろうと感じた。いや、きっとジョブズ氏も「マイノリティ・リポート」を見てカッケー!と叫んだクチに違いない(^^);

石井副所長は「あたなは技術者なのですか、アーテイストなのですか、デザイナーなのですか。」との問いには「そのすべてです。」と答えるようだ。すばらしい。

この状態は、まさにレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ。自分もそうありたい。