邦画のセオリー変える 芸術性の追求より観客の満足感優先

日経09.09.05朝
・・・ヒットの原動力は視聴率競争で培った番組作りの手法・・・「いわゆる『映画』を作っているつもりはない。僕らが目指すのは良いコンテンツだ。」・・・アマルフィ・・・フジテレビの亀山千広映画事業局長は語る。・・・亀山氏がテレビから持ち込んだのは「作家性のある良作より、お客さんが見たい映画を作る方が重要」との価値観だ。・・・「映像の文体も異なる」と話すのは・・・ごくせん・・・佐藤東弥監督だ。テレビの場合、演出に求められるのは第一に「わかりやすさ」。・・・テレビ流の作劇法や演出は批評家には不評・・・映画がヒットするのは、番組で流す大量の宣伝の効果だと言う意見も・・・「若い観客は無署名原稿のような映画を志向し、作家性の強い映画は敬遠する傾向がある」・・・「踊る大捜査線」以降だ。・・・テレビ局制作の邦画は活況だが、映画市場全体の規模を拡大させるほどの波及効果は生んでいない。映画評論家の樋口尚文氏は・・・「空疎な作品を作って観客を失望させると、中長期的には映画市場全体を縮小させてしまう。」・・・

確かに、「踊る大捜査線」以降日本映画の流れは変わった気がした。

自分も「踊る大捜査線」の映画をたまたま映画館で観ていたのだが、観客のノリの良さに驚いた記憶がある。映画であれだけ観客が湧いたのをみた事がなかったのだ。それだけ多くの人に支持されていたことは確かだと思う。

しかし、視聴率のように観客動員数の多い映画が必ずしも「良いコンテンツ」とは思わないし、だからといってテレビドラマを映画化した作品が必ずしも「空疎」だとも思わない。

映画は芸術という側面もあるが、娯楽の側面もある。「わかりやすい」映画は娯楽の面を強調した映画で、「作家性の強い」映画は芸術の側面を強調した映画なのであって、どちらも映画だ。

映画市場の縮小の問題の主な原因は、人々のライフスタイルの変化など別のところにあり、必ずしもコンテンツの質の問題とは思わない。

ひとりの観客としては、こういった議論でエネルギーを消耗するよりも、芸術映画でも娯楽映画でも、どちらのタイプの映画でもいいので、素晴らしい映画をいかに作るかにエネルギーを集中していただきたいと思う。

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