毒あるギャグ復権願う

日経09.04.15夕
・・・「スネークマンショー」のコントを制作していたときは、皆で会議室に集まって、七−八時間も頭をひねっていた。テレビや新聞に目を通して・・・それをどう笑いに変えられるか真剣に話し合った。・・・やっていてわかったのは、はなから相手を笑わせようと、ふざけたものを扱っても、それはつまらないということ。笑わせようという狙いが見えてしまってはちっとも面白くない。自分から笑うなんてもってのほか。むしろ、当人が真剣にやっている事がパロディーの対象になる。・・・

伊武雅刀(いぶまさとう)さんが声優のバックグラウンドをもち、お笑いをもやっていたという事は始めて知った。小林克也さんも同時に参加していたらしい。しかし笑いを作るのに、ニュースをタネにして真剣に頭をひねるとは。どうも仕事というものは、こういう相反する行為が多いような気がする。

1年ほど前まで、あまりお笑いに興味がなかった自分が興味が出てきたのはTBSの深夜番組「あらびき団」を知ってからだ。以来、人を笑わせるという事がいかに高度な精神活動で、難しく、尊いことなのかという事を感じてきた。

伊武さんがいう「笑わせようという狙いが見えてしまってはちっとも面白くない」という言葉で、なぜ自分がそれまでお笑いに興味が無かったのかが分かった。端的にいえば、ただ面白くなかったのだ。

これまで自分が知っていたお笑い番組では、芸人も人を笑わそうという魂胆がミエミエだったし、そうでなくてもその周辺、つまり番組ぐるみで「これは面白いんですよ〜」という雰囲気を出していたのだ。だから白けて興味がなかったのだ。

ここでもう一度彼の言葉を考えてみると、人を笑わせるには、笑わそうという目的を強く持ちながらも、笑わそうとしないという相反する方向にもっていかなければならない、ということでもある。この矛盾さ、意外さに笑いの妙が出てくるのかもしれない。

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