2013年11月4日月曜日

「テロとの戦い」は本当にテロと戦っているか?

日経13.11.03朝 中国・ウイグル自治区 漢民族との格差、対立招く

…「暴力的なテロ組織が中国の発展と安定を破壊しようとしたことに、まずはしっかり目を向けるべきだ」。中国外務省の華春瑩副報道局長は記者会見で、事件後、中国政府から締め付けを受けるウイグル族への同情論に反発してみせた。テロを生み出す構図を中国政府自身が生み出しているかもしれないという反省は、そこにはなかった。
(カシュガル<新疆ウイグル自治区>=島田学)

先日の天安門での事件が本当にテロなのかどうかは分からない。中国政府の策略かもしれないし、レジスタンス運動ということもできるだろう。

しかし、テロだろうとレジスタンス運動だろうと、いかなる目的があるにせよ暴力行為を認めるわけにわいかない。自分はそう思っているし、これは世界の共通認識だと思う。

ただ、これほど強烈で広い共通認識があることで、テロをする側の論理が全く考慮されないことがある。

「テロを生み出す構図を中国政府自身が生み出しているかもしれないという反省は、そこにはなかった。」と島田学記者が書いておられる。その通りだと思う。

つまり、「テロとの戦い」というスローガンの元、そのテロの原因が隠蔽されるという構図だ。

だから「テロとの戦い」という言葉は嫌いなんだ。フェアじゃないから。

同じことをかつてのアメリカに感じた。確かに、テロは許されない。しかし、一度でもその原因を考えたことはあるか?その原因と真正面から向き合わない限りテロは続くだろう。

暴力を暴力で押さえ込むのではなく、その「原因と向き合う」ということそのものが、実は本当の「テロとの戦い」なんじゃないか?