キングカズが体罰問題に言及。『線を引く基準の一つは「愛」』。だと思うな。

日経13.02.15朝 サッカー人として 三浦知良 拳の指導、本音話そう


体罰による高校生の自殺と、柔道界における暴力による指導の問題は、分けて議論したほうがいいと思う。
前者は許されないこと。試験が30点でもスポーツで技術が劣っているからといっても、それを理由に暴力が使われるべきではない。
後者では、柔道界は建前を捨てた方がいいのかもしれない。「自分の世代は、できなかたらぶっ飛ばされて教わった。それで強くなったと信じ、自分もそういう教え方をしてしまった。それも含めて、信じてやってきた」という本音はないだろうか。力によって指導した時代があり、許されていたことを、まず認めないと議論は深まらない。そこを出発点に「これから」を考えていくことでは。
この問題に正解はないのだろう。線を引く基準の一つは「愛」かもしれないね。教える側が、教えられる相手をどれだけ大切に思えているか。たとえ愛が理由でも、拳を上げてはいけない時がある。大切に思うがゆえに、上げずにとどめる拳もあるはずだよ。
(元日本代表、横浜FC)

体罰といっても色々なケースがあって、正解はないだろうけど、線を引く基準の一つは「愛」かもしれない・・・と。全く同意見。

だから、「体罰」なら何でもかんでも即アウト!というのは違うと思うんだ。してはならない体罰もあるし、しなきゃならない体罰もある。その大きな判断基準の一つは、そこに愛があるかどうかじゃないか?と。

キングカズは指導者が「本音」を言っていないんじゃないかとおっしゃっている。確かにそうかも。世論は「体罰ダメ!絶対!」の方に動いているし、ここで反論して責任問題に発展するのは面倒だから、「はい、そうですね」ってうやむやにしてしまっている所があるんじゃないだろうか。

それこそ愛がある行為だとは思えないし、生徒もそれを見透かすだろう。すると生徒はますます指導者のいうことを聞かなくなり、「体罰」という言葉の武器をもって指導者を侮り、封じ込めるのでは。まあ自業自得だ。そんな指導者はいても意味が無いし、そうなるくらいなら自ら辞めるべきではないだろうか。

「体罰」の問題は、実は指導者の「覚悟」の問題なんじゃないだろうか。本当は生徒も、断固とした愛情と信念、そして覚悟もった指導者を求めているのでは?

ああ、これって、仲間由紀恵さんの「ごくせん」の先生のことじゃないか?

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