「報われない努力」はまったくのムダか?

頑張り方の違い|努力ってだいたい報われないからね(Yamada_nt) - BLOGOS(ブロゴス)

・・・結局、努力が報われるのは本当に一握りでほとんどの努力は全て無駄に終わることのほうが多かったりする・・・こいつ才能あるなぁと思うような人間を見ると、「そもそも努力が無駄に見えない」っていう人生を送ってる人が凄く多い・・・ひと仕事を楽しむ人・・・「今日もやりきったーって感じている自分が少し好きだから」・・・結局楽しいから続けられる・・・つまり、努力が報われる時が初めての成果ではなく、毎日の日常生活においての努力そのものが、ある種の充実感になるような考え方を持っている。・・・その継続して行なっている努力の日々をいかに充実して過ごせるかっていう視点・・・

確かに、日々の様々な努力ってほとんど報われないと思う。世の中そんなに甘かぁない。報われればラッキーだ。

しかし、「報われない努力」がまったくのムダかっていうと、まったくそうは思わない。負け惜しみではなく。

なぜなら努力っていうのは、日々をどれだけ一生懸命に生きるのかということだと思うから。努力するのは必ずしも何か「報われる」ことが目的ではない。

例えば、ここ最近、できるだけ毎朝5時に起きてウォーキングするように決めたけれど、それは別に誰かと勝負をしているわけでもないし、何かの大会で優勝したいからでもない。

そういうライフスタイルをすると決めた自分に自信が持てるし、肩こり治るし、シェイプアップするし、体力つくし、ひいては日々の生活がより充実するようになるからだ。

そして、日々変わっていく月の満ち欠け、日の出のタイミングや風景を見たり、同じように日々ウォーキングして頑張っている人たちに挨拶するのが好きだから。中には足が悪いのに毎朝頑張っていらっしゃるおばさまもいるんだ。そういう人たちを見ると「自分も頑張らなきゃ」と思う。パワーをもらうんだ。

人生って、報われなかろうと、成功しなかろうと何だろうと、とにかく充実した毎日を送ることが大事だと思う。

日本人の平均年齢は相当上がったけれど、それでも人の一生は意外と短い。例えば80歳まで生きるとして、自分の年齢からあと何日生きられるか計算してみるといい。良くて数万日か、大抵はそれ以下しかない。

「報われる・報われない」「成功する・しない」ではなく、その数万日をどれだけ充実した日々にできるか。そして、できれば、どれだけ人類の役に立てるのか。それが問題だと思う。

この記事は、この事に改めて気づかせてくれた。

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