さすが江戸っ子!粋だねぇ〜!「リアリズム」を超えた「粋」という行動原理にマキシマムリスペクト | 1ヵ月遅れの隅田川花火大会 - 日経

日経11.08.28朝
・・・東日本大震災復興祈願として、「被災地へ贈る追悼手向けの花」と題された約1000発の花火・・・招待された被災者550人・・・大会には仙台市内の花火業者「芳賀火工」が参加・・・隅田川花火大会は、1733年に飢饉(ききん)と疫病による死者を弔うため打ち上げた花火が起源。震災の影響で警備体制が整わず開催が危ぶまれたが、地元住民から「こういうときこそやるべきだ」との声が上がり、1カ月遅れの開催となった。
日本の花火は「FIREWORKS」ではない。単に美しいからとか、楽しいからとか、派手だからとか、そういうことだけではない。日本の花火は鎮魂と追悼の儀式でもあるのだということを、今年は改めて考えた。

それを理解し、しかもこの時期に、多くの人が集まりリスクが高いだろう隅田川花火大会を実現した人々は素晴らしい。

「さすが江戸っ子!粋だねぇ〜!」ということに尽きる。

人は実現が難しいことについては、ついつい現実問題ばかりを考えて躊躇しがちだ。ここでの行動原理は「リアリズム」だ。しかし、彼らは「リアリズム」を超えて「粋」という行動原理を貫いたのだと思う。

それは例えば「ここで折れたら名が廃る!」とか「ここでやらなきゃ江戸っ子とは言えねぇ!」とか、理屈ではないそういうもののことだ。要するに、辛くてもやる。つまり、やせ我慢だ。

「粋」という行動原理も、時には必要だろう。

そして「粋」というのが賞賛されるのは、きっと信念を貫くためにリスクをとって何かを実現したからなのだろう。それは当然ながら、誰もができることではないから。自分自身がこの記事を見て感じたことを客観的に見ても、そう思う。

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