2011年8月18日木曜日

ゴーヤのつるを美しく感じる理由がわかった | 動的な美 十選 2 生物学者 福岡伸一 - 日経

日経11.08.18朝
・・・動的平衡としての生命は、いつの時代も渦巻きをその象徴に選んだ・・・ダロウの書と呼ばれるこの精巧な装飾聖書写本・・・大切なことは、渦の輪が決して閉じてはならない、途切れてはならない、ということである・・・いずれの周回も循環も同心円上に閉じているのではなく、流れは外に開いている・・・その古層にはケルト人たちの生命観がある・・・

「ダロウの書」写真提供=Bridgeman/アフロ
日経記事より
渦の輪は決して閉じてはならない。渦の輪は途切れてはならない。渦の輪は同心円上に閉じているのではなく、外に開いている。

ここで「渦の輪」という言葉を「種(species)」と変えてみたらどうなるだろう。

種は決して閉じてはならない。種は途切れてはならない。種は同心円上に閉じているのではなく、外に開いている。

「渦の輪」は生命の象徴であり、親から子へ、子から孫へと永遠に受け継がれてゆく営みの象徴なのだと感じる。

ここでTahnyaの「swim」の歌詞を思い出す。





・・・(40秒頃〜)
誰もが同じように それぞれに愛を抱いて
永遠に繋がる らせんの上 生まれてきた
・・・

「らせん」とは、恐らくDNAのことであり、DNAもゴーヤのつるのようにクルクルと渦を巻いている。つまり「らせん」も生命の「渦の輪」なのだと思う。

そしてDNAとは全ての生命の根源。ひょっとすると、ケルト人はこのことを見抜いていたのかもしれない。

そうか。自分がTahnyaの音楽を好きなのは、音楽の根底に生命のつながりとか、永遠性とか、普遍性とか、そういうものがあるからなのか。その多くの部分は、ナヲちんの母性によるものなのかもしれない。もちろん、ヒラタ師のギターがその世界観を音楽としてのカタチにしているわけだけど。

アール・ヌーヴォーやミュシャが好きなのも、多分同じ理由。ゴーヤのつるを美しく感じるのも、多分同じ理由だ。