日本の教育改革は、まず明治維新時代の先人たちの教育方法を学び直すことから始めるべきかも | 社説 世界で競える個性豊かな「人」づくりを - 日経

日経11.03.04朝
・・・国の力とは何か。・・・全ての根幹にあるのは一人ひとりの人間の能力である。本人と社会のため、その可能性を広げるのが教育だ。・・・知識の習得を重んじ、均質な人材育成で集団の力を高めるモデルは、もう通用しない。・・・米国ではオバマ大統領が、今年の一般教書演説で教育改革を強く打ち出した。中国、韓国、シンガポールなどのアジア諸国は、実用英語や理数科目に人材や予算を重点的に配分する戦略・・・明日の国力を築くのは、今日の「人」づくりだ。・・・横並びの人材の大量生産を脱し、「個の力」をうまく引き出す方向に路線を変えなければならない。育むべき「個の力」を、3つ・・・発見力・・・素早く正しい情報を抽出する技術の習得・・・創造力・・・自分の頭で考え、独自の提案を生む能力・・・コミュニケーション能力・・・発見や提案は、共有することで初めて社会的な価値となる・・・道具としてIT・・・英語・・・米欧は教育への公的支出を増やしつつ、現場の裁量を広げている・・・権限分散と規制緩和・・・明治維新をなし遂げた人材の多くは各地の私塾や藩校から生まれた。変革期には、画一的ではない自由な教育の環境が国の行方を左右する・・・

国力というのが国民一人ひとりの能力の集合であるということは、まったくその通りだ。古今東西、そうだろう。

だから、より不安定になりつつある世界情勢の中、アメリカも、中国も、韓国も、シンガポールも、ロシアも、再び教育に力を集めようとしているのだと思う。オバマ大統領など「職がないなら先生になってくれ」と言っているそうだ。日本も当然、再び教育に力を集める時と思う。

記事では育むべき「個の力」として、発見力、創造力、コミュニケーション能力を挙げている。どれも確かに必要だろう。ただ、必要な力はこれ以外にもたくさんあるだろう。

必要な個人の力をどうこう言う前に、まずは日本が再び教育大国・教育立国を目指す!と宣言することだろう。

次に問題になるのは制度だろう。「権限分散と規制緩和」は一つの考え方だと思う。これは完全に政治がやるべき事だけれど、実現できるかどうかはアヤシイ。

ここでは大混乱の末、なんとか実現できたとしよう。その次に問題になるのは何か?「先生」だと思う。

「権限の分散と規制緩和」は教育現場に自由をもたらす。そして、この自由を使い切れる先生もいるだろう。しかし、そうでない先生が大多数なのではないだろうか。そもそも、そういう人を「先生」と呼べるかどうかも疑問だけれど。

だとすると、一体どうすればよいのか。先生のための学校、つまり「師範学校」のようなものが必要か?先生になるためのハードルを高めて報酬も高めるとか?

もう一度明治維新の時代に戻り、先人たちがどのように教育というものを行っていたのかを学び直すことから始めなければならないのかもしれない。

コメント

  1. 私も最近、明治維新が成ったのは、当時各地に多く存在した私塾や道場などが大きく影響しているなあと考えています。

    読み書き、知識を学び、モラルを訓示され、共に語り合う仲間がいる。人材育成のために必要な様々な要素がそこには含まれていると思います。

    自分もいつかそういうところにかかわれたらと思っていますが、まずは自分の教育から(^^)。

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