「人間の自発性の復権」という共通項を持つかもしれない、ギターをベースとする4つのアーティストグループたち | 超絶技巧列伝4 林田直樹 イングヴェイ・マルムスティーン - 日経
日経11.01.27夕
「ワルであること。妥協しないこと。仲良しグループの友達の輪の中にあって、常に危険な、しかしなくてはならない存在であること。」
なるほど。これは今だに自分の行動原理のひとつだ。やはり、自分は本質的にロックなのだろう。
リッチーと同様、イングヴェイも大好きなギタリストだ。その流れるような「光速」速弾きの手の動き、そして音の美しさに心奪われたものだ。
初めて聞いたときは、ロック・メタルのカテゴリーのはずなのに楽曲のベースがなぜクラシックなのか?と衝撃を受けたものだ。その後聴き込んでいるうちに、特にメタルは様式美の世界でもあり、この点ではクラシックとかなり共通するものがあるのだろうなぁと思うようになった。
イングヴェイの演奏が奔放すぎて、新日本フィルに方々も相当合わせにくそうだけれど、そのズレ具合がむしろイイ。楽曲やオーケストラという形態がもつ情熱、狂気や激しさのようなものが存分に現れ出た演奏だと思う。すばらしい。
最近ではロドリーゴ・イ・ガブリエーラというロック・メタルの遺伝子を受け継いだアコースティックギターデュオが注目されているらしい。どれどれ。
う!つーか、実際メタリカと演っているようではないか!これは正しくMetallicaの名アルバム「Master of Pappets」の「Orion」!マジカッケー。故Cliff Burtonもたいそうお喜びだろう。ところで、アコースティックギターにワウかける(2:50)なんて初めて見た。ありだねぇ。
本来はこのようなスパニッシュな曲をやっているようだ。しかし、たったギター2本でここまで客を熱狂させられるとは凄まじい。
このPVを見ると、巨大アンプ、ハウリング、パワーコードのリフ、ギターの構え方、テケテケサウンド、モニターに足を乗っけて踏ん張る、ヘッドバンキング!するあたり、やっぱりこりゃロック・メタルのDNA含みだなぁと思う。音が凄くいい。
1本目のイントロでみせるパーカッシヴなギターの使い方は、Raul Midonや
ここのところ足繁くライブに通っているTahnyaにも共通するものがある。
自分がTahnyaに惹かれるのは、彼らが何でもできるバンド形態ではなく、非常に制限のあるボーカルとギターのみという形態を選びとっているというのも一つの理由だ。「バンドじゃなくても、アコースティックギターとボーカルだけでも、ここまでできるんだ!」という。
シーケンサーなどの機械やバンドにも頼らず最小限の人力のみで演る!というところに、K.U.F.U.つまり工夫の必要性がある。その工夫の結果出てきた音に迫力があるかどうかやHi-FiかLow-Fiかは関係ない。その姿勢こそが惹かれる理由のひとつなのだ。
おそらく彼らは「機械化によって堕落させられた人間の自発性の復権」とか「ひとりの人間のなしうることの偉大さを証明する存在」とまでは考えていないと思うけれど、自分はある意味こういったものを感じていた。
イングヴェイやRodrigo y GabrielaやRaul Midonはこの「人間の自発性の復権」ということをどう考えるだろうか。彼らもきっとそこまでは考えていないのではないだろうか。純粋に、そうなったからそうである、というだけなような気がする。
ただ、人間の力を信じてできるだけ人間だけでできるシンプルなものを目指すという方向性は、皆共通して持っているような気もする。
しかしまぁ、まさか日経でイングヴェイの記事を見るとはね。思いもよらなかった。
・・・リッチー・ブラックモア・・・ディープ・パープル・・・リッチーの存在は、当時のすべての少年達が憧れる何者かを体現していた。ワルであること。妥協しないこと。仲良しグループの友達の輪の中にあって、常に危険な、しかしなくてはならない存在であること。・・・その影響を大きく受けたのが・・・イングヴェイ・マルムスティーン・・・史上最強とも言われる驚異的「速弾き」の技術を誇る・・・新日本フィルと共演した「エレクトリックギターとオーケストラのための協奏曲変ホ短調」のように、イングヴェイの音楽はロックというよりもクラシックとして聴いた方がしっくりくるものも多い・・・メキシコ出身の男女ギターデュオ、ロドリーゴ・イ・ガブリエーラが注目・・・重量級ロックバンドの影響を受けながらも、彼らはアコースティックを選びとった。それは進化しすぎたロックへの反動であり、楽器を演奏することへの原点回帰とも見える・・・ギターをパーカッシヴに扱う手の素早く柔軟な動きは、幻想的なまでに美しい・・・機械化によって堕落させられた人間の自発性の復権・・・超絶技巧演奏家とは、ひとりの人間のなしうることの偉大さを証明する存在なのだ・・・
「ワルであること。妥協しないこと。仲良しグループの友達の輪の中にあって、常に危険な、しかしなくてはならない存在であること。」
なるほど。これは今だに自分の行動原理のひとつだ。やはり、自分は本質的にロックなのだろう。
リッチーと同様、イングヴェイも大好きなギタリストだ。その流れるような「光速」速弾きの手の動き、そして音の美しさに心奪われたものだ。
初めて聞いたときは、ロック・メタルのカテゴリーのはずなのに楽曲のベースがなぜクラシックなのか?と衝撃を受けたものだ。その後聴き込んでいるうちに、特にメタルは様式美の世界でもあり、この点ではクラシックとかなり共通するものがあるのだろうなぁと思うようになった。
イングヴェイの演奏が奔放すぎて、新日本フィルに方々も相当合わせにくそうだけれど、そのズレ具合がむしろイイ。楽曲やオーケストラという形態がもつ情熱、狂気や激しさのようなものが存分に現れ出た演奏だと思う。すばらしい。
最近ではロドリーゴ・イ・ガブリエーラというロック・メタルの遺伝子を受け継いだアコースティックギターデュオが注目されているらしい。どれどれ。
う!つーか、実際メタリカと演っているようではないか!これは正しくMetallicaの名アルバム「Master of Pappets」の「Orion」!マジカッケー。故Cliff Burtonもたいそうお喜びだろう。ところで、アコースティックギターにワウかける(2:50)なんて初めて見た。ありだねぇ。
本来はこのようなスパニッシュな曲をやっているようだ。しかし、たったギター2本でここまで客を熱狂させられるとは凄まじい。
このPVを見ると、巨大アンプ、ハウリング、パワーコードのリフ、ギターの構え方、テケテケサウンド、モニターに足を乗っけて踏ん張る、ヘッドバンキング!するあたり、やっぱりこりゃロック・メタルのDNA含みだなぁと思う。音が凄くいい。
1本目のイントロでみせるパーカッシヴなギターの使い方は、Raul Midonや
ここのところ足繁くライブに通っているTahnyaにも共通するものがある。
自分がTahnyaに惹かれるのは、彼らが何でもできるバンド形態ではなく、非常に制限のあるボーカルとギターのみという形態を選びとっているというのも一つの理由だ。「バンドじゃなくても、アコースティックギターとボーカルだけでも、ここまでできるんだ!」という。
シーケンサーなどの機械やバンドにも頼らず最小限の人力のみで演る!というところに、K.U.F.U.つまり工夫の必要性がある。その工夫の結果出てきた音に迫力があるかどうかやHi-FiかLow-Fiかは関係ない。その姿勢こそが惹かれる理由のひとつなのだ。
おそらく彼らは「機械化によって堕落させられた人間の自発性の復権」とか「ひとりの人間のなしうることの偉大さを証明する存在」とまでは考えていないと思うけれど、自分はある意味こういったものを感じていた。
イングヴェイやRodrigo y GabrielaやRaul Midonはこの「人間の自発性の復権」ということをどう考えるだろうか。彼らもきっとそこまでは考えていないのではないだろうか。純粋に、そうなったからそうである、というだけなような気がする。
ただ、人間の力を信じてできるだけ人間だけでできるシンプルなものを目指すという方向性は、皆共通して持っているような気もする。
しかしまぁ、まさか日経でイングヴェイの記事を見るとはね。思いもよらなかった。
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