2010年8月11日水曜日

日本は本当にアジアとのより良いパートナーシップを望んでいるのか?本気でない人を本気にする人はいない。 | 靖国参拝全閣僚見送り 初の「ゼロ」アジア重視 - 日経

日経10.08.11朝
・・・政府に記録が残る1985年以降、終戦記念日に一人も参拝しないのは初めて。管内閣としてアジア重視を強調する狙いと見られる・・・

この議論には国内外で賛否両論があることは分かっている。しかし、誰ひとりとしていかないのか?率直な感想として、日本の歴史や日本国民であることを大事にする閣僚が一人もいないのかなと感じる。

少し話のスケールを小さくして考えてみる。

例えば、身内に極悪非道の限りを尽くした先祖がいたとして、その先祖を弔う家族を一体誰が非難できるだろうか。罪は罪。弔いは弔いだ。

もしその先祖を弔わないとすれば、それはその家の歴史に、そして己自身に中指を立てることになるのじゃなかろうか。先祖の罪は罪と認め、その罪を背負い、批判を浴びてもあえて弔い続けて、だからこそ二度と間違いを繰り返さず社会に貢献しようという決意を表明するのが残された子孫の勤めだと思う。でなければ、その家は未来永劫罪人の家だろう。

こういった考え方で具体的な行動を考えると、首相談話でアジアに対する配慮を示し、一方で全閣僚が参拝するということになるだろうか。しかし現実は配慮に次ぐ配慮だ。罪を引き受けながらも己に誇りを持つという感覚が感じられない。

目的がアジアとの関係を本当に良くしたいということなら、なおさら己に誇りをもつということは重要だ。

パートナーシップには冷たいものと熱いものがある。お互いに顔色を伺って適当に続ける関係と、お互いのためを考えて言いづらいことも言い合いながらお互いの距離を縮めていく関係だ。本当に長くより良い関係を続けたいと思うなら、もちろん熱い関係が望ましい。それは家族に対してどちらを望むかを考えればすぐにわかる。

そしてそのためには、お互いに確固たる自己を持っていなければならないからだ。これは、プロがプロとだけと組むゆえに、さらに良い仕事をして、お互いにより高いステージのプロとなってしまうということに似ている。

残念ながら、政府の行動は熱いパートナーシップを望んでいるようには見えない。政府は本当にアジアとの良いパートナーシップを望んでいるのだろうか。日本国民である自分だってそう思うんだから、他国の人々だってきっとそう思うだろう。

本気でない人を本気で相手する人はいない。