広告は一番カッコ悪いスタイルかぁ | 広告コピー、無難な表現捨てよう コピーライター 仲畑貴志さん - 日経

日経10.03.31夕
・・・広告コピーは疲弊している・・・コトバの選択では解決できなくなり、コトバを立たすための工夫が過剰に求められる時代になった・・・なぜか。一つは、人々が広告の正体に気付いたから。企業がメディアの枠を買って、自分で自分の商品を褒める。いわば一番格好悪いスタイルよ。・・・だからこそ無難じゃ駄目なの。・・・すなわち表現をこすらないと。でも現状は逆。・・・「明るい未来が〜」みたいなコピーに誰がうなずくのよ。・・・格好つけたり、だましたりしない。訪問販売の人が「かわいいお嬢ちゃん」と子供を褒めるような、恥ずかしいやり方はやめようと。それが出発点からの僕の作法だ。「世の中、バカが多くて疲れません?」。これは強くこすったやつね。クレームを予想した・・・「前のほうがいい」って声が多いの。この国も捨てたもんじゃないと思ったよ。・・・当然、こすりすぎると悪感情を残す。こすって出る違和感を調整する能力が必要だね。・・・インターネットでコピーの表現は変わるの、とよく聞かれる。人間がドラスチックに変わらない限り、大きな変化はない。人間の素みたいなものを意識していれば、表現の角度を変えなくても通用する。僕はそう思っている。(聞き手は文化部 諸岡良宣)

広告は一番カッコ悪いスタイルかぁ。なるほど。その通りだ。

だからこそ格好つけるのも、だましたりするのも、お世辞もいけない。広告を出すときは気をつけよう。

仲畑さんは「表現をこする」という表現を使われる。これはひねったり、わざと荒削りにするという意味だろうか。こすりすぎると相手を不快にするので、その加減が重要らしい。確かに「バカ」という言葉は一つ間違えば問題になりかねない言葉だ。

そして最後に「人間の素みたいなものを意識していれば、表現の角度を変えなくても通用する」と。仲畑さんもMITメディア研究所副所長の石井裕氏がおっしゃるところの「ビジョンの力」を持っている方だ。細かな周囲の変化にとらわれず、人間の本質を見通す力だ。

琴線探査: 出すぎた杭は打たれない⑤ MITメディア研究所副所長 石井裕さん

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