「そこに愛はあるのかい?」 話題の「ラグナロクオンライン」の広告に感じる違和感の原因を考える

話題の広告

たまたま、ネット上でMMORGPの広告が話題になっていることを知った。

発端はこの「ラグナロクオンライン」の広告。
あまりにも酷すぎるオンラインゲームの広告「ユーザー馬鹿にしてる」 2010/03/13(土) 17:58:43 [サーチナ]

それと引き合いに出された「ウルティマオンライン」の広告。
ウルティマ オンライン-週刊ファミ通 連載広告ギャラリー

どちらにも違和感を感じるのだが、どちらも非常に興味深い広告だ。この違和感の原因を考えていきたい。


広告の定義を確認しとこう

まず、この二つの広告をみて、広告って一体何なのだろうと思い、定義を確認してみた。wikipediaによると、広告であるためには3つの条件があるそうだ。

①管理可能な広告媒体
②非人的メッセージ(人の口頭ではなく別のメディアを通してのメッセージ)
③明示された広告主

どちらの広告も広告である条件は満たしていると言えるだろう。


広告には常識・良識というのがあるらしい

ただwikipediaにはこうも書かれている。

・・・広告には企業の広告目的の遂行はもとより、消費者または利用者の満足化、さらには社会的・経済的福祉の増大化などの機能をも伴うことになるのは言うまでもない。・・・

「企業の広告目的」に関しては、ここまで話題になっているのだから当然バッチリ果たしているだろう。しかし「消費者または利用者の満足化」や「社会的・経済的福祉の増大化」に関してはどうだろう。


「消費者または利用者の満足化」は?

上の「ラグナロクオンライン」の広告キャッチを並べてみよう。

「何をやってもダメなオレ、ラグナロクオンラインではどんな任務も即クリア!」
「誰にも相手にされない私、ラグナロクオンラインではチョー頼りにされてんだ。」

ある意味のストレス解消を提案している、という意味で「消費者または利用者の満足化」はあるかもしれない。


「社会的・経済的福祉の増大化」は?

しかし「社会的・経済的福祉の増大化」という面では、現実逃避を助長して現実世界での社会的・経済的活動を減退させ、どちらの意味での福祉(「しあわせ」や「ゆたかさ」)を増大化させるとは思えないのだが、どうだろう。

一方、仮想世界での社会的・経済的福祉は増大化されるが、もし現実世界でダメでも仮想世界でイイならいいじゃないか、という考え方なのであれば、これは商売至上主義の非人道的考え方と言わざるを得ない。


大切にすべきと信じる日本人の感性

かといって、この広告を作った人々が現実逃避を助長させようとか、現実世界でダメでも仮想世界でイイならいいじゃないか、と本気で思っているようにも思えない。恐らく、ブラックジョークやブラックユーモアのつもりなのだろう。

しかし、この広告を過度に行うとユーザーや社会がどのような状況になるのかは考えるべきだ。ドラクエの作者の堀井雄二さん、ドラえもんの声優の大山のぶ代さんはそこまで考えて作品を作っておられ、自分もこれが大切にすべき日本人の感性だと思うから。

琴線探査: 堀井雄二さん(56) ゲームづくり、日本人の感性映す
琴線探査: サイト制作でも子供たちへの配慮を心がけよう | 女優 大山のぶ代さん 「弱いところは使いなさい」声のコンプレックス、解き放った母 言葉の大切さ伝えたい - 日経

こう考えると、たとえブラックジョークやブラックユーモアのつもりであったとしても、やっぱり笑えないなぁ。


結論 - 「そこに愛はあるのかい?」

自分にとって「この広告を行うことでユーザーや社会がどうなるのかという配慮が見えない」ということが、この広告に対する違和感の原因だとわかった。一言で言って、愛が感じられない。「ひとつ屋根の下」であんちゃんも言っている「そこに愛はあるのかい?」

コメント

  1. ソフトをアピールすることに集中してしまい、そのソフトを実際に使ってくれているユーザーが、その広告を見たときにどう感じるか、という所への配慮が、欠けていると思います。

    私がもしユーザーだったら、斉藤和義さんじゃありませんが「バカにすんなよ」って思っちゃいます。

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