人間をはぐくめば音楽もうまくなる

日経09.05.08夕
中学生向けに「ドリームジャズバンド」なる課外授業を始めて五年。”校長”を務めるジャズトランペット奏者、日野皓正さんは、「人間を育めば音楽もうまくなる」と言う。音楽は主張だからね。人間としての姿勢、生き方をおれたちは音で証明している。主張が弱いと、あいつは何もないとばれちゃう。人は感動してくれない。・・・トイレのスリッパが入り口と逆向きになってたら「ばか野郎」って怒鳴るわけ。次の週に直っていたら、「おまえら最高。これがジャズなんだぞ」って褒めてやる。・・・昨日やった事は絶対やるなって。難しいよ。おれもできない。だけどそういう意気込みじゃないと、創造なんて出来ないんだよ。


人としての姿勢や生き方を自分の仕事でいかに証明するか。音楽に限らず、偉大な仕事に対しては、仕事そのものの凄さよりも、その仕事をした人に感動する事が多いような気がする。

はたして、自分もソフトウェアという仕事でそういった事を証明できているのか。分からないが、一生続く道であることは間違いないし、常に意識していきたいと思う。


「叱る」ということも大切だと思った。

アントニオ猪木さんにビンタをもらうのがブームになった事があったが、それを考えると日本人は意外と叱って欲しいのではないだろうかと思えてくる。

ところで「叱る」事は凄く愛情が必要な行為だ。例えば町中で明らかに二十歳未満だろうという子供がタバコを吸っていたとして、どれだけの人が叱れるだろうか。ほとんどの人は面倒は御免だろうし、見知らぬ子供に対して愛情がないので、面倒をおしてまでは叱らないだろう。子供もそれが分かっているので、平気で町中で吸っているワケだ。

要するに子供は愛を得る事を諦め、逆にそんな大人をナメているのだ。子供にしてみれば当然の事だろう。一方の大人は、自らの保身行為の結果、子供にナメられている事にも気づいていない。なんと乾いた世間だ。

今後こういった状況に遭遇した場合は、こう言わなければならない。
「おい君!君はいくつだ?返答次第では警察に通報するぞ。大人をナメるな!」と。
これが日本という国を将来背負う子供たちに対する大人の愛情の示し方ではないだろうか。

こう考えると、ビンタをもらいたがる傾向は、日本人が本物の愛に飢えている証拠と言えるのかもしれない。教育というものは、優秀な人材を作るということだけでなく、愛するという行為でもあるのだと言う事に改めて気がついた。

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